自然が好き・スキーが好き・人間が好き


 一男二女の父、我慢強い阪神タイガースファン。
 らんぷ屋くらぶ(らんぷ屋工房代表、黒姫高原プロスキースクール校長)元ダウンヒラーの理論派スキーヤー。キッズからジュニアレーサーの体の発育と用具を研究。
 趣味:高山植物、庭作り、自然観察、写真、テニス、木工、大工、大型車の運転

1954年1月4日、兵庫県城崎郡日高町上郷「らんぷ屋」小山家の3男として誕生。
マッキンレーで不明になった冒険家(国民栄誉賞)の植村直己氏の実家の2軒隣で以後18年間、山河、空気清き雪国但馬(奥神鍋スキー場)で育った。

府中小学校時代・・・
自宅の庭のピッチャーマウンドで日が暮れるまで練習をしていた野球少年。冬はリフトがない近くの山でスキーをしていた。神鍋国体がスキーをはじめたきっかけになった。

日高東中学校時代・・・
野球が終わると中距離ランナーとして陸上競技の練習の毎日。
ダウンヒラーにあこがれてスピード練習をしていた スキー場ではちょっと注目された。

出石高等学校時代・・・

高校から陸上部の誘いがあったが、夢をもって高校球児となり、「阪神の星」となるべく、バッティングピッチャー、球拾いと努力するが、肩を痛めて2年でリタイヤ(実力がなかったの かな?)。
スキー部ではスピード系を得意とし一人武者修行に出たが、世にでる事はなかった。
1972年神鍋インターハイも雪不足のため、幻の大会となった。

東京工芸大学時代・・・
写真が好きで入学したが実験と薬品の匂いを嗅ぐ毎日だった。
バイクに乗り日本各地を旅行し、人の暖かみと人生を学ぶ。
2年の春に立山室堂山荘(佐伯昇氏)にお世話になり、山ごもりをしスキーと山歩きを楽しむ。ダウンヒル大会を求め各地を転々とする。

サラリーマン時代・・・

神戸の三菱系写真感材商社に勤務、広島に転勤。
広島から毎週、神鍋に帰りスキーをし、プロレースを見てカメラマン、レーサーを志し、スキーで生きることを決意、退社。

1978年
志賀日本フランススキースクールにカメラマンとして入るがスキー教師になる。SIAのライセンスを取得。プロスキーヤー活動開始。

1979年 
カザマスキーでスキーの構造、特性、チューンナップ技術を学ぶ。

1980年

フランス国立スキー登山学校モーリス・ジョン教授の指導を受ける。
プロショップ「ビバスポーツ」のアドバイザーをしながら、トレーニングに励んだ。月山「ほていや(今野東=おやじさ ん)」で4〜8月までスキー、テニスを楽しんだ。全日本チーム(海和氏)やデモとの出会いで理論を学んだ。
1982年 
茨城県土浦市に移住し結婚。
プロショップに勤務する傍ら筑波大学、明治学院大学のスキー部、サークルのコーチ兼サービスマンとして国体選手を支えた。
西友コミュニティカレッジ講師(スキーとトレーニング)を勤める。

1984年 
大型免許取得、トラック運転手に転身。黒姫に土地を購入し、以後8年間スキー界を離れた。

1990年 
黒姫高原に移住、ホテル勤務をしながら原野を開拓する。4か月間、雨水を濾過したり朝5時に起き清水を軽トラで運び水道のない生活を送り、自力で水道を引いた。子供達も良く手伝ってくれ、苦しくも良い体験であった。

1992年
 
らんぷ屋工房を開店、地元の人達の協力を得て黒姫高原プロスキースクールを開校し、パックレッスンを中心に営業。

1994年 
日本プロスキー連盟会員。スノーボードレッスンを開講。
ナスターレース協会のペースセッター、清水アキラ(タレント。インカレでも活躍)に勝った。

1996年
 
スキーショップを開業。スクールの経験を生かした用具を販売。
他校に先駆けカービングスキーを導入。
ジュニア、ポール中心のレッスンに転換。

1999年  
第1回立山スキーツアーを開催。上手にするためのキッズレッスンを開講。大型トラックで和歌山〜東京の定期便に乗る。
設備工事業を開業。

2000年
 
春・夏・秋は、トレッキングをしながら山・川・植物を楽しむ。
冬はアルペンスキーだけでなく、歩くスキー、テレマークスキー、スノートレッキングで自然の厳しさ、楽しさを体験講習。
発育ざかりの子どもと、カービングの研究と、ジュニアレーサーの育成に力を入れています。

2002年
前山食堂2階にスクール事務所を置き、キッズ専門スキースクール・スキープロショップ・JRレーシングチームが充実。
1日のレッスンで、リフトに乗って滑る事が出来るキッズレッスン・レーシングチームも県外メンバーも入り、大所帯となる。グリーンシーズンも、シーカヤック、バードウオッチングなど経験し,スローライフに興味を持つ。

2003年
Jrレーシングチームも60名を越え、楽しいスキー+大会のためのスキーを求められ、少ないスタッフでジュニアの育成に父兄の協力得て取り組み、県外メンバーも増えて、子ども専門のスキースクールとして根づく。
妙高赤倉二ューホテルの社員となり、営業で関東・関西などホテルマンとして活動を始める。

2005年
03−04年のシーズン終了後、前山食堂スクール事務所を借りる事が出来なくなり、赤倉スキー場での活動を開始。
黒姫・妙高ー池の平・新赤倉・くまどー・豊田スキー場など、近郊のスキー場を利用して『わんぱくスキー塾』として子供専門のスクールを行う。長男が、プロとしてのスキー活動をはじめ、SIA会員となる。
ホテルの営業マンとして、観光関係でいろんな人と出会いがあった。

2006年
テレビ東京系『月10万円で豊に暮らせる町&村』に家族で出演。取材中、改めて周囲の方々に温かく支えてもらって今の自分たちの暮らしがある事に気づく事ができた。また、家族の絆の深さを感じ、黒姫での生活が、自分らしさを活かせていると感じた。
妙高高原ベースの夏の林間学校を開校。
黒姫スノーパークのコスモプラザ内にスクール事務所を設置。地元ペンションの協力で、キッズ合宿が定着した。